私はキャリアと経済力を失っただけでなく 馬鹿にされるようになり、 感謝されなくなり、 家政婦以下
モラハラ、DV、それによるストレス、湿疹、頭や足の裏のかゆみ、めまい、、、。
感謝もなく、舌打ち、睨み、暴言の日々。
仕事を辞めてまで再構築に賭けたが、
徒労におわるどころか、状況は悪化。
私はキャリアと経済力を失っただけでなく
馬鹿にされるようになり、
感謝されなくなり、
家政婦以下。
家政婦なら感謝されるし、暴言吐かれないし、給料ももらえるし、何より肉体的にも精神的にも自由だ。
離婚する。
その日のために今は耐える。
ストレスをなるべく直視しない。
夫が死んだら嬉しい。
夫の暴言や態度に傷つくことも、干渉されることも、馬鹿にされることもなくなる。
夫のための家事をやらなくていい。
夫が汚したテーブルを拭かなくて良いし、夫が汚した食器を洗わなくて済む。
お金を何に使ったか説明しなくて良いし、いつどこに何をしに旅行に行くかお伺いをたてる必要も無い。
離婚だとわめき散らされるストレスもない。
離婚だと喚くのは、言われる立場の人間が離婚されたら困る状況にあるのをりかいしているからであって。
仕事をばりばりしていたときの私に、おわりにしようと提案したことはあっても、離婚だとわめき散らされたことは一度もない。
つまりはそういうことだ。
力を失った人間に、家族になったはずの人間はこうも冷たいのだ笑
家族?笑える。
夫の家族は実家の家族だけね。
もともと家族をつくるのは無理だったね。
死んでくれたら未亡人。
離婚よりいいよね。
こんなことを思う日がくるとは。
でもがんばった。
私は誇りに思っていた仕事を辞めてまで、家庭再生をがんばった。
もう同じ仕事を手に入れることも同じ経済力を手に入れることも、不可能に近い難易度。
私はよく頑張った。
誰も褒めてくれないけれど、
頑張ったよ。
もう好きに生きて良いよ。
人生に歓びを感じますかって聞かれて、涙が出たじゃないか。人生って歓びを感じるものなのかって。
人生は楽しむためにある。
歓びを感じるためにあるとしたら。
私が離婚しないのは、世間体と経済力の問題、それに付随する人間関係。そして家庭に対する、家族に対する憧れ。諦めきれない家庭という夢。こどもがふたりいる。こどもがみんないっしょに暮らしたいという。
すべて他人が作った意味だとしても。他人の価値観の中で生きているのだろうか。
ぜんぶ捨てて自由になりたい。
ぜんぶ?こどもは?こどもは捨てたくない。
生きる歓びを感じたい。
私は幸せになるために、こんなにも自由を手放して、こんなにも不幸になった。
幸せになるためには自由は手離すものではなく、掴んでいないといけないものだったのか。